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SRX250 整備日記 No.3


平成15年 2月23日 更新終了


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その 9

2002

TUKUBA TOURIST TROPHY in  JUNE

平成14年6月23日(日)

このレースに向けて行ってきた整備について、まとめて記録します。


  • F・R スペアーホイールの入手
  • Pラップ専用ステーの取り付け
  • Fホークスプリング強化の為、スペーサー挿入
  • Rサスペンション交換(もちろん中古品)
  • 振動による部品の欠損、破損等の修繕
  • メインジェットの交換
  • タイヤをBS BT39SSに変更
  • などである。特に珍しい作業ではないが、サスペンション関係の作業は前回のレースで 得た貴重なアドバイスから、重点的に行った。リアサスペンションはほとんどダンパー 効果がなくなってしまって、走行中にリアタイヤと垂れ下がった配線がこすれ、断線 してしまった。たまたま「抜けてるからいらない」とN選手から頂いた物があったので、 交換してみると、まだ少しダンパーが効いていて、その後それを使用している。それでも まだ柔らかいのか、第2ヘヤピンでサイレンサーをこすってします。タイヤの変更は F選手からの助言で、BT39SSの方がグリップがいいと言う事で、変更した。

    走行中に、リアブレーキペタルが無くなったり、フロントゼッケンプレートの止めネジが 無くなったり、挙げ句の果ては、レース直前の走行でタコメーターが壊れた。タコメーターが 壊れると、メインジェットの交換が出来ず、ベストマッチとは言えないが、取り敢えず6000 回転までは動くので、そのままレースを迎える事にした。配線も同じ時期に切れかかっていた。 そのため半田ごてを車に常備するようにした。単車は小さいが、それを維持する為に必要な 物が増えるばかりである。

    Pラップの不調は、センサー部分の断線であった。センサーを分解すると、小さな基盤が 入っていて、そのなかの半田接続部分が割れていた。そこも半田を多めに盛って、基盤が 振動しないように、スポンジを入れ、ふたをしておいた。それでも時々誤作動する。 練習量を増やしたがタイムを計れない事が何回もあった。本体との配線部分はガムテープで 固定。それでも誤作動する。新しいPラップが発売されたが、機能は充実している様だが 振動対策と、配線部分の補強は行っているのだろうか?
    P> 目新しい事が少ない(進化していない)単車で何とかレース当日を迎える事が出来た。 F選手と行動を共に行い、無事に車検を終え、くつろいでいると、T選手が訪問してきた。 今回は欠場との事。知り合いがレースに出ないと少し淋しい。特に今回は、知り合いが 少ない。それぞれの事情があるから仕方ないが、反面出場者が少ないから今回は1クラスで レースが行われる。そっちの方が私にとってショックだった。何せ「お立ち台」の数が 半分に減るわけだし、参加するだけでそこに乗るチャンスがあるわけで、それが半分に 減ってしまったのであるから、前回2月と同じように、常勝連中がそこを占拠するのは レースを始める前に分かってしまった。まあ、今までの私のタイムではそのチャンスは とても少ない確率である。ちょうど「宝くじに当たる様な確率」であるが、無いよりは ましである。 そして私のスーパーアドバイザーM選手が登場。彼も仕事が忙しく今回欠場。しかし、 当方の単車の貴重なアドバイザーである。後光が見える。

    ピットの中は楽しいお話でいっぱいであったが、予選の時間が近づき慌ただしく準備を 始める。なんだかとても緊張している。まるで初めてのレースの時の様だ。その緊張を ほどく為、好きな歌を歌う。コースインして暖気運転中は大きな声で歌っていた。それは 「舟歌」。なんとも「酔っぱらい」には似合う歌である。グリーンフラッグが下げられ、 いよいよタイム測定である。またPラップが動いていない。仕方なく裏ストレートで 接続部分をグニィグニィした。3週目の1ヘヤでアウトから「22」番がかぶせて 来た。なんとも嫌らしい抜き方に「切れて」しまった。ニュータイヤである事は頭の 片隅にあったが、それを忘れる様な抜き方。イン側は十分に空いているのに、なんとも 大人げない。彼は前回の優勝者である事が後で判明する。
    こうなるとピットサインを見れない走行である。取り敢えず前にいる単車を追いかけ、 追い抜かす。何週目かにPラップを見ると14秒616が出ていた。そこから急に 冷静になる。3週ほど走ると「チェッカー」で、予選終了。
    走り終えピットに戻ると、M選手が「電光掲示板に出ていますよ」と言うのであわてて 見えるところまで走ったが、もう無くなっていた。気を許して走ったので、そのあとに 誰かがよいタイムを出した様だ。一瞬でも写真に取りたかった。

    そんな訳で今回は、7番グリットを取れました。まさに「22」の追い抜きが無ければ 取れないタイムです。でも、今まで出した事の無いタイムなので、もしかして周りの グリットには常勝連中がいると思うと、少し恐怖を感じた。


    私の前方 私の後方

    左の写真が私の前方、右の写真が私の後方。こんなに前に立つのは2回目だけど、参加 台数が多いと、とても緊張する。なるべく後ろを見ない様にした。スタート前に選手の 紹介があるが、希望すればコメントを読んでくれる。左隣の選手の「今回が最後のレース になります・・・・・」と言うコメントを聞いて、「それなら今からでも遅くないから そこから単車を押して出て行って!!お願い」とヘルメットの中で叫んでしまった。

    サイティングラップが始まるとまた「舟歌」を大声で歌った。そして日章旗が振られる。

    スタート失敗。左右から数台に抜かれる。それでも1ヘヤでアウトから1台程抜き返す。 1週すると順位は10番手。1コーナーの入り口で右ステップから足が滑り、ブレーキペタルと ステップの間に爪先が挟まる。爪先が地面とこすれてとても怖い思いをした。単車はアウトに 膨らみ、2台に抜かれた。これが結局は敗因かも知れない。その後、レースは順調に進み、 段々単車の列が細長くなる。いつまでもトップの4台が視界にあった。何とか1台抜かし、 多分順位は8番手と思う。ピットサインを見ていないので順位も周回も分からない。 メインストレートで、一気に2台抜かしたが、1コーナーで失速、あえなく同じ位置に 戻る。目の前のグースは最終コーナーの後半が遅い。周回遅れも出てきた。 そのうち予選トップのS選手がスローダウン。そろそろ終わりと思い、前のグースを 最終コーナーで交わして、一気にゴールというシナリオを作り、ピットサインを見たが 数字が読めなかった。まだ1週あると思い、最終コーナーを抜けると、チェッカーが出ていた。 結局グースを抜けず、7番手でゴール。前のグースはそのままピットロードに入ってしまった。 彼は表彰台行き・・・・。ピットで彼が振り返ったので、表彰台を指さしてやった・・・。

    まあ、ベストタイムは出したし、「YAMAHA賞」は頂いたし、GP並の混戦(?)で とても面白いレースでした。自分が上位だからではなく、トップから最後の選手まで逼迫 したタイムで、どこでも大バトルが繰り広げられたレースだったと思います。

    レース終了後、M選手のありがたいアドバイスをまた頂き、後日オフィシャルをしていた A選手からもメールにてアドバイスを頂き、ありがとうございます。今後の課題を克服し、 11月にはぜひシャンパンの冷たさを実感したいと思います。

    今後、参加者が増える事を祈り、私の単車のセッティングを少々公開します。

  • Fフォーク 突き出し 25ミリ
  • キャブBOX有り、蓋なし、エレメントなし、
  • キャブは3WP用
  • プライマリー メインジェット #125
  • セカンダリー メインジェット #110(これでも濃いめ)
  • Rサス 最強(最も固め)

  • 近々、パワーチェックします。データが出来ましたら公開します。少なくともレース結果 がよかったから公開するのではなく、当初から予定していた事です。
    参加者が増え、メジャーなレースになることを楽しみにしています。筑波では気軽に 話しかけてください。話せば「ただの酔っぱらい」であることは証明されます。



    その 10

    振動による右手の負傷

    右手小指負傷の写真

    11月のレースに向け、9月より練習走行を始めたが、2カ月あまり単車に乗っていなかった ためか、それとも単車の振動なのか、アクセルを握る右手の小指の筋を痛めてしまった。
    右手の自力では小指がまっすぐにならないほど、とても痛く、医者に行ってレントゲンを 撮り、骨では無い事が判明し、一段落。小指に当て木をして、湿布して、3日ほどで 元通りになるが、また練習走行をすると、同じ症状が出る。
    今までは、ブレーキレバーを人指し指と中指で握り、アクセルを薬指と小指で握っていた。 コーナーでのアクセル開け始めには、薬指と小指に力が入る為に(単車の振動と重なって)、 筋を痛めたらしい。以後は、人指し指でアクセルを握り、中指一本でブレーキレバーを 握る方法に変えた。
    同じころ、タコメーターも動作が緩慢になり、壊れてしまった。同じ機種の物に交換したが、 それも1時間ほどで壊れた。どうやらエンジンの振動が大きくなったようだ。そろそろ エンジンのオーバーホールを考えなければいけない時期である。 /h3


    その 11

    フロントフォークのオーバーホール

    Fフォークシリンダーの写真

    今年2月のレースから、サスペンションの改善を試みている。今回は、スペアーの フロントフォークをオーバーホールして、オイル粘度を変更し、今まで使用している物と 比較しようと考えた。スペアーを分解してみると、今まで使用している物よりインナーチューブの 上下動作がスムーズである。どうやらスライドメタルの磨耗が原因らしい。
    分解ついでに、フォークシリンダーの写真を撮っておいた。ダンパーオイルが通過する穴が 3個(大きいのが1つ、小さいのが2つ)ご覧いただけると思う。いろいろと情報を 探しているうちに、ダンパー調整には、この小さい方の穴を加工する事を聞いた。穴の直径を 変更したり、塞いだり、位置を変えたりするらしい。考え抜いた挙げ句、今回は何もしない 事にした。まずは、オイルの選定とスプリングの変更を初めに行い、そして最後にこの部分を 変えてみる事にした。



    今回のフロントフォークのセッティングは である。油面を調整するのが正しいと思うが、そこまで微妙なセッティングではないので、 取り合えず、このセッティングを試す事にした。それに加え、オイルシールも新品に 交換したが、単車に装着してみると、動きに抵抗を感じた。それを見たB選手が 秘密兵器を教えてくれた。「メタルラバー」というケミカルである。それをインナーチューブ とシールの接触面に塗布すると、とたんに動きがスムースになった。

    ついでにリアサスも交換。今までは純正の物を使用していたが,RZR(年式不明)の 物が全く同じサイズでボルトオン出来るので、それを使用してみる事にした。



    その 12

    パワーチェック

    長年こんなHPを管理していると、いろいろな方面の新しい友人が出来る。その中でも、同じ クラスのレースに参戦しているF選手とは、練習でもレース当日でもお世話になっている。 今年の秋に行われたブリジストンタイヤ主催の走行会には、一肌脱いで頂き、私もタイヤ交換を 指定の店で行う事で無料で走れた。タイヤ交換ついでに、パワーチェックを行う事にした。
    そろそろエンジンのオーバーホールを考えている時期なので、それほど期待はしていなかったが、 結果は下記の通りである。


    パワーチェック

    今年寒くなってから、少しセカンダリーンメインジェットを大きめにしたのが、良くなかったのか、 それともエンジン自体が限界なのか、同じ日に測ったF選手よりも0.5馬力低い。レース 直前になんともショッキングな出来事であった。しかし、ハプニングはこれだけでは無かった。




    その 13

    転倒!!

    レースが直前に迫ったので、ある秘策を行う事にした。それはエンジンオイル添加剤である。
    以前からお世話になっているM選手の知り合いのオートバイ屋さんで売っている添加剤である。

    そして、壊れていたタコメーターを「スミス風」の物に交換。ほとんどレースに向け準備は 整っていた。1本目の走行で、タイヤの磨耗限界を感じた。最終コーナーでフロントの接地感が 無くなったと思った瞬間に、フロントが外に流れ、マフラーが接地、思わず体重を後ろに ずらし、難を逃れた。2本目を走る前にあわててタイヤ交換。そして、2本目をトップでコース インすると、そのまま1コーナーで転倒。新品タイヤ、そして路面温度が低くて、グリップ していなかった。それほど初心者では無いが、4速パーシャルでコーナーの入り口で転倒 したのは、精神的にかなりショックであった。何とか走れたので、1週してピットイン。 練習に来ていたグースに乗るT選手、NZのT選手に手伝って頂き、何としても走って タイヤの皮むきを行おうと思ったが、ステップを固定しているボルトが折れてしまい、 手持ちの部品では直せなかった。仕方なく、コースアウト。

    ハンドルが曲がり、フロントゼッケンが折れ、ステップが折れ、それほどの被害では なかった。単車の修理はその日のうちにほとんど終えたが、精神的なダメージが 大きかった。

    レース前日の特別走行では、転倒の後遺症でアクセルが開けられずに、 ほとんどツーリング走行であった。タイヤに不安感が残る。それでも直線では アクセルを開け、何とか感覚を取り戻そうとしたが出来なかった。タイムは 19秒前半。当日の気温は6度。レース当日の天候は「曇り」である。みな同じ条件で 走るので、温度に対するハンディーは無い。大きなハンディーを背負ってしまった。 走行後に判ったのだか、 ハンドルが曲がっていた。右側が下に曲がっている。同行したF選手に「そのハンドルの 単車は向こうの(オートレース用オーバルコース)コース走る単車だよ」と言われ、 あわてて直した。走行している本人が、気がつかなかった事が情けない。

    転倒するまでの練習では、何とか14秒中程を出していた。そのタイムだと、フロント フォークのダンパーは良く効いている。フォークスプリングはいくらプリロードを 掛けても、もともとの剛性が無いように思われた。 リアサスも始め柔らかく、腰のあるサスで ある。一応自分では、13秒マシンと自負していたが、パワーチェックの結果や 直前の転倒は、すべてマイナス要因となってしまった。(まあ、チーム仲間には 23馬力で14秒は立派と、慰められた)



    その 14

    2002

    TUKUBA TOURIST TROPHY in  NOVEMBER

    平成14年11月16日(土)

    今回のピットはにぎやかであった。SRXのM選手、F選手、グースのT選手、NZのT選手。 NS−2マシンだけで5台も集まってしまった。テーブルが3つ、ピットクルーは総勢11名、 当方の応援にM選手(MATEIOさん)とKarikaさん、友人のA君も来てくれ、とても派手な体制である。

    5台とも無事に車検を終え、8時から予選の開始である。なるべく早くコースインしたかった 為、早めに行動する。今回当方のチームは私だけの参戦なので、手慣れた2名のピットクルーは 順調に作業を行ってくれた。おかげで当方は、何の不安も無く、「転倒」の恐怖と戦いながら レースに集中できた。ありがたい事である。

    他にもNAPAのサポートに来ているA選手や、S選手(今回もオフィシャルカーに乗る)とも 明るい話題で、とても楽しく過ごせた。

    予選開始まえに、オフィシャルのS選手に「Pラップ」の使用が出来るかどうか確かめると、 レース中は、動かないと言っていたので、電源を切ってしまった。そして、予選が始まる。

    4番目くらいに、コースイン。「転倒」の恐怖を背負いながら、ゆっくりと走る。3週ほど走って、 やっとラインに入る。それでも不安が残り、アクセル、ブレーキともとてもレースとは思えない 「甘い」操作であった。結局、最後の1週にアタックしようと思ったが、その週にチェッカーが 降られて、予選は転倒も無く、無事に終わった。朝から4番目の予選であったが、何台も転倒車が 出ていた。転ばなかっただけ良かったのかも知れない。
    結局、タイムは17.1秒で、予選11位。トップは14秒台で走っていた。「Pラップ」は 動いていたらしい。NZのT選手のはタイムを測れていた。もし、電源を入れていれば、 ラップ週が分かり、もう少しタイムアタックが早く行えたかも知れない。(オフィシャルの 嘘つき!!!)

    今回決勝は2クラスに分かれる。予選順位の奇数と偶数である。前回6月の様に、一気に 決勝スタートしない。エントリー36台のうち、12個の「お立ち台」が有る訳で、 トップグループに転倒者が出れば、誰にでもチャンスが訪れるレースである。その分、 当方も慎重に走る事にした。尚更「転倒」のプレッシャーが重圧となって、重荷になった。

    予選を見ていたMATEIOさんが当方の走行のアドバイスをしてくれた。しかし、17秒 では、アドバイスを受ける値打ちも無いタイムである。フロントサスを押して感触を確かめて いただいたが、「大分硬くなっているが、なんだか少しおかしい」と言っていた。多分、 推測であるが、プリロードをかけると、スプリングの初期の「柔らかさ」が無くなって しまったのだろう。ご存じのとおり、スプリングは、「巻き」の間隔を変えて作ってある ので、初期の「柔らかさ」の部分が無くなっているだと思っている。フロントサスの セッティングは、まだまだ先が見えない、とても長い道のりになりそうである。

    決勝のグリットが発表された。同じピットに5台もNS−2マシンがいるのに、私だけが 他のクラスで、2番目の決勝となった。ちなみにグリットは6番手。同じ決勝には、有名な 兄弟ライダーや、前回マシントラブルで入賞を逃した選手もいた。順調な走行ならば6位、 失敗すれば、7〜8位の予想である。そして、決勝のスタートである。スタートを待つ 間には、他の4台が参加しているレースが行われていた。SRXのM選手が3位、F選手が 7位と大バトルの上、6位入賞。グースのT選手と、NZのT選手もバトルの結果、 自己最高タイムを更新。とても面白いレース。その分当方にプレッシャーがのしかかって きた。喉が渇き、胃が痛い。スタート前のミーティングはVIPルームで行われたが、 そこから「お立ち台」に上がるふたりを見ていた。

    グリッドに単車を付け、改めて自分の順位を実感した。前回、スタートで失敗したのは、 スタートの合図に「日章旗」が降られるが、そのタイミングが判らなかった為である。 今回ミーティングでは、「旗が手を離れた瞬間」にスタートしていいと言っていたので、 スターターの左手の手首に注目する事にした。
    毎回サイティングラップ中に歌っている歌は、「松田聖子」にした。「した」と言うよりは 自然に口から出てきた。題名は判らない。歌いながら単車を大きく左右に降り、タイヤを 温める事にした。(多分気休め程度だろうが・・・。)


    そして

    3位入賞の写真

    3位入賞

    出来ました。

    スタートは今までに無く順調。1週目のシケインで1台転倒。4位に上がるが、2週目に GBに抜かれた。2週はタイヤの温度を温める為に自重しようと思っていた。しかし 思うように右手が動かない。 4週目の裏ストレートで前を走っていたGBの挙動がおかしい。良く 見ると、左ステップから何かが垂れ下がっていた。シフトリンケージだ。彼は6月の レースでも同じ症状で入賞を逃していた。「やった〜。これで4位だ」とヘルメットの 中で大声を上げた。上位の3台はしばらく見えていた。トップグループは兄弟ライダーで ある。少し遅れて「33」、大分後ろに私がいた。後ろから刺される様子は無い。 「もしかしたら、兄弟ライダーのうち1台は転倒するかもしれない」と思った。激しい バトルがよく見えたからである。「このまま4位でもいいな」と思い始めたころ、 2ヘヤで転倒者を発見。良く見ると、見慣れたツナギだ。トップの2名のうち 一人が転倒したのだ。これで3位。バックマーカーも出始めたころとほぼ同時だと 思っているが、まだ、2位が見える範囲にいるので、なるべく離されないように 頑張ったが、どうしても「転倒」の事が頭から離れず、アクセルを開けるタイミングが 遅すぎる。走っている自分が情けないほど、頭の片隅には、「転倒」という二文字が 冷静に、そして頑固にこびりついていた。
    アクセルが開けられない以上、追いつけないと思い、今度は「早くチェッカーが 出てくれ」と最終コーナーを抜ける度に、祈っていた。そして、トップから 大分離されてゴールイン。

    ゴールイン直後は、ちょっと派手なアクションで、右手を上げた。このくらいの順位なら このくらいの派手な事してもかまわないと思ったからである。ついでに「バーンアウト」でも しようとしたが、それは、1位になった時の楽しみに残しておいた。

    3位はとても高い「お立ち台」でした。1位と2位に握手を求め、「やっとここまで 来られました」と声をかけると「おめでとうございます」と祝福された。
    シャンパンシャワーなんて長い人生の中で初めてなので、どうやっていいか判らず、 1位のM選手にアドバイスを受け、何とか蓋が飛んでくれた。喉が乾いていたので、 無駄なシャワーをせずに、すぐに飲んでしまった。その後のF選手の話だと「栓を飛ばした 瞬間に、唇がとがっていてよ、さすが”酔っぱらいの国”の管理者だけあるね」と 言われ、苦笑い。ピットクルーが大勢いたので、とても楽しいシャンペンシャワー でした。
    その後単車は、車検場に運び、騒音測定を行い、車両保管になった。すべてはピットクルー が行ってくれた。ありがたい事である。しかし、騒音測定の時「タコメーターが正確に 動かす困った」そうである。5500RPMあたりで安定せず、7000RPMくらい まで、回したそうである。

    レース終了後、MATEIOさんが持ってきてくれたおでんとビールで再度乾杯。しかし 当方は胃が痛く、ビールも満足に飲めない状態。おでんはおいしくいただきました。 レース参加者よりも大きな荷物を持ってきて頂き、ありがとうございます。

    時間が経つにつれ、レースを冷静に考えてみると、転倒者、マシントラブルが3台 出たので、3位になっただけで、F選手の様な面白いバトルも無く、「転倒」の 恐怖がつきまとっただけのレースでした。ベストタイムからはほど遠く、少し落ち込んで いると、周りの皆が励ましてくれた。「3位は3位で、決してレースに負けた訳では ない」のです。


    入賞記念撮影

    いつも練習でお互い切磋琢磨している仲間のうち3名が入賞したので、その記念に 3台まとめて写真を撮りました。
    応援して頂いた方々、サポートして頂いた方々、この場をお借りして御礼申し上げ ます。

    帰りは表彰式の為、遅くなりました。勢いで飲んだシャンパンはすべて出し切ってから 車を運転しておりますので、ご心配無く。



    その 15

    キャブレター交換

    キャブレーターの比較

    以前からT型とU型のキャブレーターの口径の違いは知っていた。しかし、当方のT型のキャブは チョークの調子が悪く、なかなか始動出来なかったので、U型の物を使用していたが、 新たにコンプレッサーが手に入ったので、T型の細かな所を清掃し、チョークの 目詰まりを取り、次回のレースに向け、使用することにした。
    写真では左側がT型(51Y)である。この角度からでは良く見えないと思うが、 明らかに口径が大きい。ノギスで測ってみると、約一o大きくなっている。
    ジェット類のセッティングは今までより、少し薄めにした。
    プライマリーメインジェット #110
    セカンダリーメインジェット #120
    パイロットジェット     #42
    である。




    その 16

    外装部品の新規制作

    前回のレース直前の転倒で、フロントゼッケンプレートと、バックステップに大きな ダメージが出来た。レースでは取り敢えず「落ちない」程度に修理をしたが、今後の事も 考え、部品の信頼性を上げる事と、部品の入手をたやすくする為に、上記の2点と 曲がったハンドルを作り替える事にした。

    フロントゼッケンプレート

    新しいフロントゼッケンプレート

    今年のお正月、こたつに入りながら、いろいろと考えた。 純生部品の、ヘッドライトステー(この呼び名が正しいかは不明)のウインカーステーと ヘッドライト固定ステーを切断し、本来ヘッドライトが入るスペースに、タコメーターと Pラップ、ヨシムラデジタル油温計を無理やり入れた。2mmのアルミ板を使用し、 何回も曲げたり、穴を明けたり、とても苦労した。各メーターの隙間はほとんど無く、 振動による影響は、実際に走らせるまで、不安であった。
    しかし、ダンパーゴムを入れたおかげで、車体の振動が直接各メーターに伝わらずに 順調に動いている。ハンドルストッパーには、「TZM50」用を使用。これで セパレートハンドルと干渉しなくなった。



    バックステップ

    新しいバックステップ 新しいバックステップ

    今まで使用していたバックステップは、メーカー不明の物で、ペタル類の部品供給に 不安があった。しかも今まで度重なる右側のみの転倒で、ベースプレートは作り直した 物である。これもお正月の暇な時に作り直した。
    今回使用した部品は、「コワース」のステップバーとペタル類である。これならば、 扱っている店も多い。幸いな事に手元にSRX600用の物があったので、それを 使用した。ベースプレートは、アルミの中で最も強度のある「A7075S」を使用し、 今までのバックステップから寸法を取った。
    ペダル類の操作性能も向上し、特にチェンジの感覚が良くなった。 これで次回転倒しても、すぐに直せる。

    セパレートハンドル

    新しいバックステップ 新しいバックステップ

    前回の転倒で、ハンドルも曲がってしまった。いろいろと探したが、同じ物は左右一対に なって売っているので、このまま何回も右側の転倒が続くと、左側が大量に余ってしまう為、 ハンドルバーとクランプが別々に供給出来る物を作る事にした。
    といっても、33oのそのような物は有る訳が無いので、仕方なく手元にあった36o用の クランプに、アルミパイプから切り出したスリーブを挿入して、33oに仕上げた。ハンドルバーは 市販の物を買っても良かったが、それでは面白くない。ノーマルでは、ハンドル端部にかなり 重いウエイトが付いているので、ウエイトの効果も考え、アルミ丸棒を使用することにした。 材質は「A5056」である。耐食アルミ材で、どこでも手に有る為、これに決定。
    クラッチレバーとホルダーも、部品供給の点を考え、手元にあった「89NSR250R」用の 物に交換した。



    その 17

    細かなセッティングの変更

    レースに向け、セッティングを変更した。 路面温度の低下のせいか、最近フロントの接地感が無いように思えた為、フロントのプリロード をいろいろと変更した。結局はこの数値に落ち着いた。果たして正解なのかは、不明。
    パイロットジェットは、気温の低下と共に大きい物に変更。YAMAHAの部品を頼むと 一つ1200円以上すると思うが、POSH製JOG用の3本セットを購入した。
    今まで使用していたバッテリーが寿命となった為、原付用のバッテリーで練習を重ねたが、 過充電で沸騰してしまった。その為、始動用に車のバッテリーを用意し、充電系統は、コネクターを 外した。この状態で、2時間程の間、充電なしで走る事が出来た。


    貧乏人の実験

    タイヤ交換時に、フロントディスクプレートも交換していたが、面倒なので、再生を試みた。

    再生したディスクプレート

    すり減ったディスクプレートを再生してみた。まずは、スキー用単目ヤスリで、段付きが無くなるまで 削り、最後にサンダーに#400のサンドペーパーを付け、磨いた。プレートの厚さは 規定内に納まった。
    当初は、ブレーキパッドのあたりがなかなか出なかったが、3時間ほどの練習走行で、やっと 効くようになった。作業時間はおよそ、3日程。貧乏が身に付いているのか、節約家なのか、 友人に話したら、「新しいの、買ったら?」と、一言で終わってしまった。




    その 18

    そして、また、転倒!!

    レースまで、1カ月を過ぎ、いよいよ総仕上げの時期となった、温かいある日。調子に乗って 走っていると、ダンロップ下の右コーナーで、マフラーが接地、そしてフロントが浮いて、 そのまま転倒。単車は、一度芝生まで出て、左コーナーのクリッピングを3メーター程過ぎた コース上まで、滑って停止。ライダーは、芝生の上で、大回転。ツナギには再塗装された ゼブラの赤い色が付いていた。練習は「赤旗中断」。ご迷惑をおかけしました。
    単車の破損は、フロントブレーキレバー、フロントゼッケンプレート、ステップバー、シート カウル、サイレンサが上向きに曲がった。今年になって交換した部品は、予想した通り、 ツクバの向かいの「D’s」にて新しい部品を買ってその日に修理完了。後は、体だけである。

    こうしてHPを更新している間にも、また転倒する予感がする。さて、2月のレースは どうなる事やら・・・・。




    その 19

    転倒の後遺症

    ステアリングベアリング

    転倒後、左手の痛みを堪えながら、練習を重ねがが、チャタリングが発生して、とても怖い 思いをしたので、ステアリングベアリングを点検してみた。
    外したのは、最上部の物のみ。度重なる転倒の為、傷が発見された。手で触ってみると、 表面の変色程度に思えた。しかし、問題は、下部の方であるが、練習の合間では、外す事が 出来なかった。
    当方の好みとして、今までステアリングステムのボルトはゆるめに締めつけていたが、傷が 発見されたので、少し強めに締めつけて、走る事にし、ベアリングを組み立て、フロント ホイールを持って左右に降り回してみると、ガタツキは感じられなかった。 <\h3>

    本来、ステアリングベアリングを点検するには、マフラーを外し、エンジン下部にジャッキを入れ、 フロント部品すべてを外さなければいけないが、30分の練習の合間では出来なかった。まだ レースまで時間が合ったので、増し締めで問題が解消出来なければ、ベアリングの交換も可能 である。
    走行を始めると、まるで違う単車に乗っている様な感じである。しかし、チャタリングは 大幅に減った。念のため、走行後にフロントフォーク締めつけボルトや、自作スタピライザーを 一度緩め、新たに締め直した。

    その後の練習では、完全にチャタリングは消えていたが、練習タイムが2秒落ちでは、本来の 性能に戻ったかは不明である。このタイムのまま、レースを迎える事は、事実であり、 落胆する日々が続いた。


    歪んだサイレンサー

    サイレンサーは根元の部分が写真の様に曲がってしまった。

    これは幸いである。今まで時々サイレンサーも接地していたが、これで約3センチ上に 曲がったので、今後は接地する事は無いと思った。しかし、新品のマフラーASSYには、 輝かしい戦歴(?)が・・・・。




    その 20

    2003

    TUKUBA TOURIST TROPHY in  FEBRUARY

    平成15年2月23日(日)

    レース前日の練習走行では、タイヤを交換した。前回レース直前で転倒したのは、新しいタイヤが 原因だったので、今回はブレーキクリーナーで脱脂し、フロントをジャッキアップして、電気 ストーブで温めた。とても簡単な「タイヤウォーマー」であるが、40分ほど、タイヤをまわしながら 温めていると、全体が「一肌」くらいには温まる。「無いよりはまし」なのと、気持ちの問題である。 しかし、問題発生。ステアリングベアリングの「段付き」を発見してしまった。予備部品は持っていたが、 また走行感覚が変わってしまうのはマイナス要因と考え、そのままで練習走行を行う事にした。
    特別走行では、11台のライバルと遭遇。あいにく路面の色が変わるくらいに雨が降ってきた。この くらいでは、ドライ状態と変わらないと思い、ライバル連中の様子を伺いながら走っていると、 突然「赤旗」。なんと、一台のグースがメインストレートでオイルを蒔いていた。練習では良く合う 人で、今回が初めての出場と言っていた。「明日までに直れば・・・。」と心の中ではエールを 送りつつ、雨のレースに備え、練習に励んだ。


    そして、レース当日。しかし、転倒後のタイムの低迷は、精神的に大きなダメージを与えていて、 気分はいつもの練習と変わらない。私の師匠M選手も応援に来て頂き、来て早々、「リアのイニシャルを 1段下げた方が良い」と、ありがたい助言で、緊張が高まってくる。が、前夜からの雨で路面は完全に ウエット。ここ1年練習でもお目見えしないほど。当の本人は、緊張も無く、相変わらず脳天気。 詰まらぬ冗談で、しばらくぶりに再会した人々と会話を楽しむ。公式パンフを見ると、NS2参加者は いつもの「お立ち台」常連が、ぞろぞろ。天候も徐々に回復する兆しを見せ始めた。されば、レースの 結果は自然に見えてくる。エンジンの振動増加、タイムの低迷による精神的ダメージ、今までの経験と 照らし合わせても、8位前後の成績が見えてきた。T選手らのお子さんと共に、「お立ち台」に 上がる夢は、早くも消え失せていた。
    そして、予選開始。路面は完全に濡れていたが、路面温度はそれほど低くない。路面温度が低い状態で 練習を重ねてきた事と、昨日の濡れた路面での練習で、ほとんどプレッシャーは感じない。少し心臓の 鼓動が大きく感じただけである。
    4台目にコースイン。今回は予選順番が3番目である為、ライン上は徐々に乾きだしていた。バンク角が あるコーナーの上の方は乾きだしていた。2週ほどタイヤを温めてからレコードラインを走り出す。 全体的なスピードが低い為、1ヘヤを抜けたところで、電光掲示板がはっきりと見えた。4週目くらいに 電光掲示板を見ると、なんと上から2番目だ。ピットからのサインでは22秒。前を走る単車の真後ろに つくと、ヘルメットシールドに水滴が付くので、単車を抜きつつ、クリアーラップが取れる準備に入る。 そして、5週目くらいから、掲示板の一番上に自分のゼッケンを確認すると、「ポールポジション賞」が 頭をかすめる。反面、「世の中そんなに甘くないそ、転倒するぞ」と、自分の中で二人の自分が 会話を始めた。しかし、次の週も掲示板の一番上。路面状態も大分良くなり、ダンロップ下と、最終 コーナーでは、減速を心がけ、その他は、それなりのスピードで走る事にした。ピットからのサインは 21秒である。何とか20秒を切りたかった。天候が回復傾向にあるので、決勝では、ドライになと 思い、何とか、グリットを上げておきたいと、考えた。少しでも早い連中の前に出て、レースを優位に 進めたかった。ハングオンを大きく取り、なるべく単車を寝かせないようにして、今までの低迷している 練習で慣れた目を信じて、アクセルを明け始めた。さもなく、バックマーカー(?)が現れてきた。 ラインを外して抜く事が出来ないので、なるべく直線部分で抜いた。裏のストレートでT選手を発見。 「インを差して抜ける事は抜けるが・・・」と躊躇してしまった。最終コーナーを抜けると、「チェッカー」 であった、、。
    1ヘヤを抜けて、掲示板を見ると、なんと上から2番目でした。「夢」はかなく終わってしまった。

    予選後、大学生のT選手が、「ポール、おめでとうございます」と話しかけてきたが、彼のツナギは 泥だらけ。1コーナーで転倒してしまったのだ。「残念ながら2着でした」と結果を告げ、そして 彼の単車を見に行った。ダメージはかなり大きいが、決勝までには時間があるので、直せそうである。 自分のピットの周りでは、まるでお祭騒ぎ。本人は「ポールポジション賞」を逃したのがとても くやしい。「もしかしたら今回のレースで唯一頂ける商品」だったかも知れないからだ。

    前回優勝したM選手は、予選を走っていない。何かトラブルが発生したらしい。改めて決勝の予想をする と、7位前後であるが、伏兵がいる事は十分にわかっていた。練習で見た事のある人は、数に入れたが、 常勝連中は普段練習では見た事が無いし他にも早いライダーがいると予想された。

    それにしても、レース前に練習走行せずに、入賞する常連は、私の思考回路では、考えられない。 そして、とても悔しい事が私を練習に駆り立てたが、今日はその思いも無い。「抜かれるのは、当たり前 の事、レベルが違い過ぎる」と、思考はマイナス方向に進んでいた。予選終了後には、師匠 M選手が用意してくれた「おでん」をパクパク食べた。食べ過ぎると腹がきつくなるので、気をつけたが それでも、前回のレースの時の様に胃が痛くて食べれない事は無い。

    転倒したT選手が心配である。2月から練習では毎回合い、私が練習で転倒するまでは、目の上のライバル であったが、最近では手が届かない。
    ライダーの怪我は無いが、単車はかなりのダメージである。あいにく当方の手持ちの、マフラー、 バックステップを供与して、何とか決勝に出れるように祈っていたが、反面、また順位が上がる可能性も 望んでいた。


    そして決勝が徐々に近づいて来た。いつもトレーラーで単車を運ぶS選手から「いつもHP見てますよ」と 話しかけられた。今回彼の単車には、4ポットのキャリパーが付いている。今年からレギュレーションが 変わり「同一メーカーで改造なしで付けられる部品」が付けられるようになり、彼は主催者に確認した そうだ。このクラスでブレーキの強化が必要かという問題については賛否が分かれると思うが、 レーシングパットが選べるキャリパーを付ける事には、私は賛成している。私もU型のキャリパーを 付けた理由は、当時はまだフェロードのssパッドが売っていたからである。書き忘れたが、前日 タイヤ交換時にそのパッドを入れた。


    予選二番手の写真

    初めてのフロントロー。周りはほとんど常勝者。後ろを振り向くと、真後ろには大学生のT選手の場所だが、 あいにく彼の姿は見えない。後で聞いたのだが、アクセルホルダーの変形で、アクセルが戻らす、決勝には 出れなかったそうだ。私が供与した部品は、問題なく付いたそうなので、彼にとっては悔やまれるレースに なったと思う。二列後ろには、あの黄色いグース。彼に抜かれる事は予想されたが、抜かれ方が楽しみである。
    打ち合わせではダブルT選手の美少女娘が、アプリリアの傘持って私の両側に立ってくれる予定であったが、 恥ずかしいらしく、実現出来なかった。二度とこの場所に立てる事は無いと思っているので、残念である。 しかし、お父さんが同じ状況の時には実現してくれるでしょう。楽しみです。

    選手紹介では(少し派手なアクション・・本人はそう思っているが)両手を挙げて、ご挨拶。「抜く時は お手柔らかにお願いします」とささやきながら・・・。隣のM選手から「いつもHP見てますよ。何か 面白い情報さがしてますよ」と大きな声で声援を受けた。このHPがメジャーになったのかと、少し 自信が付いた。隠し立てはしていないが、常勝連中の役に立っていると思うと少し悔しい反面、レース を盛り上げる役を果たしていると考えると、社会の役に立っている事を実感。そういえば、このHPを見て 次のレースに参戦する予定の人にも、お会い出来た。うれしい事である。入門クラスですから、どんどん 参加下さい。持っている情報は隠していません。参加者が多くなれば、2レースになり、当方の入賞の 確率もあがりますので(これが本音ですが)。



    そして日章旗が降られた。スタートは成功。「18」番と共に1コーナーに進入。するとそこへ「6」番が インを差してきた。相手が彼らならこちらはアクセルを戻せない。そのまま三台で1コーナーを無事クリアー。 順位は3番手に落ちたが、目の前には、いつか必ず追い越すと思っていた目標があり、アドレナリン大量噴出。 裏のストレートではスリップが効いて、3台団子状態。最終でインに入ろうかと思ったが、様子を見る事にした。 前に2台いるので、出口がよく見えない。あっと言う間に、ゼブラに乗ってしまった。良く見ると、20メートル 先でゼブラが無くなっている。あわててコースに戻る。 そのうち、腕の差が出てきて、10メートル程離される。周回が進むにつれてさらに離される。トップ争いに 参加していると思うととても楽しい。後ろを見ると、白い グース。彼も練習ではお目見えしていないが、今回は白いグースでの参戦。初参戦だと思う。が、彼も 常勝連中だ。そして今度は黄色いグース。彼にはたしか、2ヘヤのインから抜かれた。鋭い突っ込みである。 勉強になるかと思ったが、一瞬の出来事で覚えていない。
    [3位なら、シャンペンが飲める」と思っていたが、「5位か、まあ、お立ち台には乗れる」と、レースの 事より賞品の方に注意が行ってしまった。「7位だと、YAMAHA賞だ。結構いい物頂けるな、早く チェッカー出ないかな。また転倒者が出ないかな」ともう、 アドレナリンは無くなっていた。そうなるとラインはめちゃめちゃになるし、ブレーキミスも重なり、 1コーナーで2台に抜かれた。1台はS字の一つ目でインに入り追いつき、タイヤ1本分先行したが、 右足に変な感触がある。「ぶつけきやがった。右のラインは十分に合いているはずだ。」と思い、 一瞬アクセルを戻す。1ヘヤの出口では追いついたが、追突しそうになり、またアクセルOFF。 どうも1ヘヤでは、当方の方が早い様だ。何回かそこで追いつくが、ラインを塞がれてしまって アクセルが明けられない。そして周回が進むにつれ離される。その後記憶では、ブレーキミスも重なり 2ヘヤの入り口で同時に2台に抜かれた。それもアウトとインから同時に。自分の腕が情けない。 2ヘヤでは全走者のマフラーから火花。一瞬転倒の事が頭をよぎる。が、アドレナリンは リザーブではまだ少し残っていたようだ。2台の後につき様子をうかがう。全走者はアクセルの 明け方がラフである。ガス欠かと思うほど、オーバーなアクションでアクセルを明けている。とても 印象的なライディングだ。何とか抜かそうと最後の体力を絞り出したが、だめであった。抜かれて から、ゴールまで2週くらいしか無かったが、そしてとても充実した時間であった。

    そんなわけで、「捕らぬ狸の皮算用」は、諺の通りのエンディング。ゼッケンと同じ順位に成り下がりました。

    決勝直後に、ぶつけてきたライダーが誤りに来たが、レースだから仕方ない事。

    済んでしまった事に付いて、今更何の弁解も出来ないので、M選手のおでんをおいしく頂き、 そそくさとツクバを去りました。転倒による精神的ダメージは少し軽減され、タイムも元に戻り、 お話相手も増え、

    ダブルT選手は、前回の屈辱バトルの再現で、二人だけの順位バトルをしていたようですが、これもまた 草レースの楽しみ。早い奴は早いなりに、遅い奴は遅いなりに、楽しみがあり、喜びが有ります。 当方は3時過ぎにサーキットを後にしましたが、表彰式後のジャンケン大会で、ダブルT選手は 大量の賞品をゲット。これもまた楽しみ。前回のレース後、練習もせずに参戦されたF選手、お疲れ さまでした。練習せずに、前回と同等のタイムをだすなんて、歳の差を感じました。チームメイトの O選手、6月の参戦楽しみにしています。A君、お手伝いありがとう。師匠M選手、おでんごちそう さまでした。karikaさん、寒い中ありがとうございます。

    6月のレースに向け、03’マシーン制作に入ります。それと精神面の修行。やはり、あれをやらないと 行けませんかね・・・ねぇ、S監督?




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